子羊たちの楽園

プロローグ

リュー:「ふわぁぁぁぁぁっ……あふぅ」

建物の大小にかかわらず、教会の朝は早い。
起き抜けの重い体を引きずりながら庭に出た俺は、たまらずに大あくびをした。

リュー:「眠い……」

ひたすら眠い。
この時間に起きることが子供の時からの日課だったとはいえ、やはり睡眠不足は結構つらい。
太陽が姿を現すのも早いこの時期、外はさわやかな朝の様相を見せてはいるが、まだ眠っていてもいい時間だ。
少なくとも、一般的な家庭においては。

リュー:「はぁ……教会だからって何もこんなに早い時間に起きることないんだよな」

俺は、目の前に建つ小さな教会を見上げながらつぶやいた。
中央王土『プライスガウ』から少し離れた地方都市『フレイヤード』。
そこにあるこの小さな教会が、俺の家だ。
といっても教会の中に住んでいるわけではなく、もちろん住居の方は別になっている。
教会は、信者が20人も集まればギュウギュウになってしまうほどの大きさしかない。
もちろんそんな状態になったのを見たことはないが。

リュー:「神様だってまだ寝てるよ、きっと……」

毎朝毎朝同じ愚痴をこぼすのも、俺の日課だ。
子供の頃から今に至るまで、俺の朝の日課といえば、大あくびをしながらこの時間に起きて、ブツブツと愚痴をこぼしながら庭にある井戸で顔を洗い、イヤイヤながら朝の祈りを済ませ、面倒くさがりながら朝食を作ることだ。

リュー:「はぁ〜あ……っと」

顔を洗うための水を汲もうと、井戸から桶を引き上げる。

???:「ほあああああっ!」

突然の奇声とともに背筋を駆け抜ける殺気!

リュー:「はぁっ!」

俺はとっさに振り返ると同時に、襲いかかってくる殺気に対して桶をかざした。

グワシャァァァァァッ!

衝撃とともに桶が粉々に割れる。

???:「ふん、よくぞ今のをかわしたのぉ、リューよ」

そう言って、俺を襲った犯人は、ニカッと笑いながら振り返った。
朝っぱらからこんなことをするヤツは1人しかいない。
俺のオヤジ、オルバ・バーナードだ。

オルバ:「さすがはワシの息子じゃ。少しはできるようになったではないか」

リュー:「あ〜あ……またぶっ壊したな」

俺は、手の中に残っていた桶の破片を地面に放り捨てた。

リュー:「これで今月に入ってから何個目だと思ってるんだよ、オヤジ?」

オルバ:「おまえが盾代わりに使うのがいかんのじゃ」

リュー:「オヤジが朝っぱらから不意打ちを狙うからだろうがっ!」

オルバ:「当然じゃ。不意をつくから不意打ちと言うんじゃ」

リュー:「そうじゃなくてだなぁ……」

オヤジは、こう見えてもこの家……つまりこの教会の神父である。
神父の分際で、武闘家か肉体労働者かと思われそうなこの筋肉は、本人の趣味だったりする。
人々に神の教えと慈愛の精神を説くべきこの神父は、なぜか三度のメシよりも体を鍛えることが大好きなのだ。
体を鍛えるだけならまだしも、なぜか武術にまで精通しており、その強さは今見た通り。
木製の桶など、一撃で粉々に破壊してしまうほどの力の持ち主だったりする……

オルバ:「それにしても、ワシの渾身の不意打ちをかわすとは、よくぞそこまで成長したのぉ」

リュー:「不意打ちに渾身の力を込めるなよ……」

オルバ:「これもワシの毎日の鍛錬のたまものじゃな」

リュー:「へぇへぇ。ありがたくて涙が出るよ」

本人の趣味としてだけでなく、オヤジは俺にも自分と同じようになることを強要した。
『人生、毎日が修行』と言っては、その言葉通り、毎日毎日、自分の鍛錬にガキの俺をつき合わせてきたのだ。
最初のうちこそ、基本が大切とか言って体を鍛える訓練ばかりだった。
しかし、今では実戦でのカンを養うことが大切と言い出して、オヤジと実戦形式の組み手をやらされることがほとんどだ。
おかげで俺も、その辺の武闘家が相手でもまず負けないほどの強さを身につけている……らしい。
オヤジ以外の相手と実際に戦ったことなんてないから、自分の強さなんてわからない。
まぁ、とりあえずオヤジの不意打ちをくらわないようになったということだけでも、それなりに強くなっているとは思うけど……

オルバ:「さて、それじゃ、今日の修行を始めるとするかの」

リュー:「あのさぁ、俺、昨日は遅くまで宿題やってて、寝不足なんだよね」

オルバ:「それがどうしたんじゃ」

リュー:「今日くらい、休ませて欲しいんだけど」

オルバ:「かぁぁぁぁぁつ!」

オヤジは、空気がビリビリと震えるほどの大声を張り上げた。

リュー:「あ、朝っぱらから何ちゅう声を出してるんだよ。まだ近所の人は寝てるんだぞ」

オルバ:「このたわけがぁっ! 寝不足で修行を休むなぞ、言語道断じゃ!」

リュー:「んなこと言ったって……」

オルバ:「おまえは、かの武神イーノ=キボン=バイエの教えを忘れたかぁっ!?」

ちなみに、ウチの教会が奉っている神は、慈愛の神テレザードである。

オルバ:「武神曰くっ! 『いつ何時、誰の挑戦でも受ける!』 寝不足だからといって、戦いを回避するなぞもってのほかじゃっ!」

リュー:「誰も挑戦してこないって」

オルバ:「心構えの問題じゃぁぁぁぁぁっ!」

リュー:「うわっ、汚ねっ!? 唾飛ばすなよ、もう」

何で朝っぱらからこんなにテンション高いんだ、このオヤジは……

リュー:「わかったよ。じゃあ、誰かが挑戦してきた時は逃げないようにするから、とりあえず今朝の修行はお休みってことで……」

オルバ:「かぁぁぁぁぁつ!」

リュー:「だから大声出すなって……」

オルバ:「人生、毎日が修行じゃっ! 休みなぞ無いわぁっ!」

そう言って、オヤジはいきなり上着を脱ぎ捨て、上半身裸になった。
すでに全身にジットリと汗をかいている。
見た目も雰囲気も暑苦しいオヤジだ。

オルバ:「ふんっ! はぁっ! むぅんっ!」

気合いとともに、筋肉を誇示するかのようなポーズを取るオヤジ。
はたから見てると、ただのアホだ。

オルバ:「かぁっ! ふぅっ! でぇぇぇぇぇいっ!」

何度かのポージングを経て、ビシッと構えをとる。

オルバ:「さぁ、どこからでもかかって来るのじゃっ!」

リュー:「……俺の話聞いてた?」

オルバ:「むふぅっ! どうした? 来ぬのなら、こちらからいくぞっ!」

リュー:「いや、だからさ。今日はちょっと体調が……」

オルバ:「ぬはぁぁぁぁぁっ!」

問答無用とばかりに俺に向かって拳を繰り出すオヤジ。

ゴォッ!

リュー:「うおっとぉっ!?」

間一髪でかわした拳は、空気を切り裂くというよりも、そこにある空気ごと吹き飛ばしてしまうような勢いを持っていた。

リュー:「い、いきなり本気で打ち込むなっての!」

オルバ:「うわははははっ! 今日は拳が軽いわっ!」

嬉しそうというか楽しそうというか……
朝っぱらから笑顔で息子に殴りかかるオヤジってどうよ……

オルバ:「さぁ、ドンドンいくぞい! ほりゃあっ!」

リュー:「くぅっ!?」

ビュオッ!

丸太のような足が、さっきまで俺の頭があった位置を、ものすごい勢いで通過していく。

オルバ:「ほう、この蹴りもかわすかっ! じゃが、これはどうじゃっ?」

回し蹴りの勢いを止めずに、そのまま反対側の足が、しゃがんだ俺の顔面を狙う。

リュー:「ちぃっ!」

俺はとっさにその場から後ろに飛び退いた。

オルバ:「かわしてばかりでは勝てぬぞいっ!」

リュー:「ったく、結局こうなるのかよっ!」

追撃してくるオヤジに対して、俺は拳を繰り出した。

リュー:「はぁっ!」

オルバ:「ぬぅんっ!」

ガシィッ!

俺の拳を受け止め、はじき返すオヤジ。

リュー:「うおっ!?」

オルバ:「うわははははっ! 甘いわっ!」

オヤジが繰り出す前蹴りをバック転でかわし、そのまま足払いを放つ。

オルバ:「おおっ!?」

リュー:「甘ぇっ!」

飛び上がってかわすオヤジに向かって、下からの突き!

オルバ:「くぅっ!?」

バシィッ!

両手を交差させて突きを受け止め、オヤジは俺から距離を取った。

オルバ:「ふふん、なかなかやるのう」

リュー:「どうせ自分のおかげだとか言うんだろ」

オルバ:「その通りじゃ。うわははははっ!」

そう言って、オヤジは豪快に笑った。

オルバ:「じゃが、この程度ではまだまだ我が大豪院流武闘術の奥義は授けられんのぉ」

リュー:「そんなの授かりたくないって」

オルバ:「なんじゃとぉっ!? 中央王土にもその名を轟かす大豪院流武闘術奥義を、そんなのじゃとぉっ!?」

リュー:「嘘つけ。どうせ誰も知らないだろ、そんなの」

オルバ:「当然じゃ! ワシが興したオリジナルの流派じゃからのぉ」

リュー:「あんた神父だろうが……神父が勝手に武術の流派を興していいのか?」

オルバ:「我が拳にこめられたるは愛! 我が蹴りにこめられたるは正義!」

リュー:「………………」

オルバ:「おおっ、母なる慈愛の神テレザードよ! 我に愛の力をっ! 正義を貫く魂をっ! うなれワシの拳っ! 轟け稲妻キック!」

リュー:「………………」

何で朝からこんなにテンション高いんだ、このオヤジは……

リュー:「はぁ……結局今日も修行するはめになったか……」

俺は深いため息をついた。

オルバ:「何をブツブツ言っておるのじゃ! 続けるぞ!」

リュー:「へいへい……」

たまには休みたかったけど、こうなったらしょうがない。
オヤジが満足するまで、つきあうとするか……

オルバ:「ぬはぁぁぁぁぁっ!」

リュー:「おりゃあっ!」

ガシィッ!